3日目(手術当日)

  • 手術当日。
  • 時間的にずれ込み、手術〜リカバリーは翌日にまたがることとなったが、気分的には終始落ち着いていた(ただし、待たせていた家族には心配をかけた)。
  • この日に体験することは、出来る限りすべて、記憶に焼き付けておこうと思っていた。しかし、麻酔が成功したおかげで、肝心の手術に関する記憶はない。あるのは、その他待ち時間のことばかり。

  

  • 朝、6時起床。7時までにシャワー(本当は時間外だが術後しばらく不可なので特別に許可)。術衣着用。
  • 朝食の放送を聞きつつも、絶食・絶飲。点滴開始。


  • M先生。当日最後の顔見せ。
    • 触診後、手術のためのラインを描かれる(紫のサインペン)
    • この時点では、手術は「午後3時ごろ〜8時ごろ」の予定。
  • 10時ごろ、母来る。
    • 術衣+点滴という私のなりに、分かっていたこととはいえリアルな衝撃を受けている様子(口には出さないが、全部顔に出るので分かる)。
    • 私自身、可能な動きも限られているので、ベッドに寝て待機。昨夜までに皆さんからいただいたお守りや千羽鶴や手紙やメールを眺めながら、気持ちを落ち着ける。麻酔の恐怖だけが最後の砦だったが、もうなるようにしかならん、とにかく何とか終わってくれさえすれば、私にその瞬間が迎えられさえすれば、という気分に。
  • 昼過ぎから、Y彦おじ・父・妹、続々と来る。
    • 早々と来てくれたのがY彦おじ。
      • 来た瞬間から、私が言うのもなんだが、泣きそうというか神妙というか、妙に重々しい様子。風邪を引いて熱があるとのこと。私よりよっぽどしんどそう・・・(>△<)
      • しかし、いつものおっちゃんらしさは健在であった。
        • 母:「ほんまにわざわざすいません。何から何までほんまにお世話になって・・・」
        • Y彦:「姉さん、謝るのおかしいですよ。家族なんですから」
        • 私:「おっちゃん、お忙しいのにほんとにすいません」
        • Y彦:「何ゆってんの、○○ちゃん。K子【Y彦おじの妹。私からはおばちゃん】と同じ顔やねんから、ほっとけるわけないやろ」
          • ⇒母&私の後日談:「そんな理由で親身になってくれてたんや・・・でも本心ぽい(苦笑)」【※Y彦おじの特徴1:血族大好き。それ以外の人にはやたら厳しい
      • おしゃべりがてら、Y彦おじの仕事話をいろいろと聞く。今までは、法事のたびに会う程度だったので、聞いたことがなかった。自分のことと重ねずとも、興味深い話ばかり。【※Y彦おじの特徴2:自分大好き。自分が世の中で一番賢く、それ以外の人はすべてアホだと思っていて、それを口にも出して言う。一目置かれているとはいえ好かれにくいタイプ(おそらく血族にも)】
        • 28歳女性の脳腫瘍患者の話。8年前。手術8時間。腫瘍に気付いたのは、「頭が重い」「眼底が沈んでいる(?)(=慢性的に視神経が圧迫されているとのこと)」などの症状から。結婚を控えていたが、夫方の親族から反対を受け、式を強行するも、内緒で籍には入れてもらえていなかったらしい。そんな彼女も今では完治し、3児の母に。ケースとしても珍しかったので、学会でも発表。
        • TVに出てるような医者はダメ。学会に出るヒマもないようなすごい医者がいる。
        • 臨床研修制度は、現場に出ない役人が決めたもの。ダメ。
        • 病院勤めの医者は世間で言われているほど儲からない。開業医は2〜3倍儲かる。
        • 風邪治す薬なんかない。寝かしとけばいい。
        • 術痕の完治には、手術2割、テープ8割。
        • 一時期、医療弁護士に転向しようと思っていたが、やめた。
        • 自分のやった手術は全部ビデオに撮っている。訴えられたとき身を守るためと、学会のため。密室だから。
        • 世界にすごい医者がいる。特に、78歳トルコ人
        • 宇和島の病気腎の事件。医者側に賛成。他人のがんはうつらない。
      • 「外科医は医者の中でも最も大変。いろいろな条件を要する。内科とはわけが違う。内科はアホ。口だけ回ればいい」というような話も出る(ちなみに弟のAおじは内科医。興味を引かれた母が質問。
        • 母:「へえー・・・。じゃあ、外科のお医者さんになるには、どういうことが出来たらいいんですか?」
        • Y彦:「やっぱりそこは才能ちゃいますか」
        • 母:「はあ・・・」
        • Y彦:「やっぱりね、歌がうまいとかね。」
        • 母:「えっ・・・うた?
        • Y彦:「歌うまい人は手術うまいですよ、姉さん。」(全然ギャグではない雰囲気)
        • 母&(横で聞いていた)私:「・・・へえ・・・」
          • 母&私後日談:「やっぱあそこで『医者仲間とよくカラオケ行きはるんですか』とか言うべきやった?」【※Y彦おじの特徴3:歌にも自信を持っている?】
    • 途中で父、妹も来る。
    • 私以外の人たちは、交代で食事に出る。
    • 私は、案外空腹感もなく平気だったが、Y彦おじが「それが緊張してるってことやねんて。アメぐらい大丈夫やから、今のうちに舐めとき」と言って、のど飴を食べさせようとする。Y彦:「これぐらい大丈夫やって!ほら、看護婦さんの来えへんうちに!」 私:「・・・・・・(困)」 気遣いは嬉しいが丁重に断る。ヘンな裏ワザを勧めちゃだめだってば(笑)。

    • 合間、看護師さんから、「前の手術が押しているので、予定より遅れる」との連絡。
    • Y彦おじ&父はカフェに行って戻ってきたり、母&妹と雑談したり、何となく待ち時間をやり過ごしていたため、あまり時間の記憶がない。途中でメモも止めた。気分はそれなりにずっと落ち着いていた。


    • 4時前、とうとう呼び出し

      • 6F到着。昨日来てくれた外科看護師のNさんが待っていて、Sさんから引き継がれる。皆とはここでお別れ。
      • 手術室の中へ
      • 左右対称に開く頑丈っぽいドアの中には、すでにベッドが用意され、Nさんんと同じ姿をした外科看護師さんが数人、その周りに待機している。
        • Nさん:「それでは、お名前を言っていただけますか?」(形式的な質問)
        • 私:「○○○○です。」(聞いていたので疑問なく答える)
        • Nさん:「ハイ、ありがとうございます(^^)。それでは、ベッドに上がっていただけますか?」
      • 目の高さぐらいに設定されている手術用ベッドに、横に付いている階段から上る。上がったとたん、Nさん含む看護師さんたちが一斉に毛布やベルトやコードや何やかんやを取り付けにかかる。それと同時並行で、ベッドは部屋の奥の方に押されてゆく。
      • この時点で、仰向きに寝かされた私にはすでに天井しか見えず、位置感覚なし。しかし、横目に見える看護師さんたちの一連の動作があまりにもテキパキしていて素晴らしいので、思わず、私:「ぷっ・・・(^3^)」と噴き出してしまう。
        • 看護師さん:「・・・? どうかされましたか、大丈夫ですか?」(動作の手は休めず)
        • 私:「あ・・・いえ・・・(^▽^) プロだなーと思って・・・」
      • 思えば、これまでの人生でこのようなシリアスな場面で笑ってしまった、なんていう経験は一度もない。自分で一番びっくりした。私なりにヘンな緊張のピークだったのかもしれない。一方で、もしかしたら完全に平常心だったのかもしれない。「甲状腺一筋四千年」というような文句が頭に浮かんでもいた。
      • ベッドは、合計1分ぐらい押された末、手術室の真ん中っぽいところで止められる。上を見上げたままの私の目には、いかにもドラマでパッ!!と点けられるようなライトが並んでいる。

      • ここで、麻酔の先生登場。入院前に「麻酔診」を受けたH先生ではない先生だったが、外来病棟の紹介モニターで見たことのあるお顔だった。
        • 先生:「じゃあ、今から麻酔のお薬入れますねー。痛かったら言ってくださいねー」
      • ここからの記憶はない。(次目覚めたときには、4Fリカバリー室にいた。)

【手術結果まとめ】

  • 【時間】
    • 9時間(午後5時〜午前2時)
      • 予定では4時間。以下の3)、4)が追加されてのびた。
  • 【内容】
    • 1)甲状腺全摘
    • 2)頸部リンパ節(両側)郭清
    • 3)気管周辺転移部(右側)除去
    • 4)気管切開
  • 【大まかな手ごたえ】
    • 成功らしい
  • 【入院日数】
    • 3週間に延長
      • 予定では1週間。これも3)、4)の追加にともなって。