猫入院(2日目)
- 日中、職場のネットで「猫の腎不全」について調べる。
- 帰宅後、面会へ。
- オリのベッドの中で点滴と湯たんぽ。ぐったり。呼びかけてもいまいち反応しない。獣医さんいわく、「いい状態とは言えない。悪くいえば、ひからびてしまっている。あまり動きもしなくなった。今夜あたり危険なことがあるかもしれない。ただ、おしっこが少し出てきたし、体温も上がっている。疲れが一気にきて、爆睡するケースもある。明日には良くなるかもしれないし、何とも言えない」
- 腎不全は慢性でも一気に来るらしい。まさかそんなこととは知らず、可哀そうなことをした。少しでも脱水症状をましにしてあげたいとだけ思う。
猫入院(1日目)
- ネコ(チヨ:♂)が入院。
- 昨夜。寝もせず、一晩中うなっていた。歳が歳とはいえ、最近激ヤセし、急激に弱っているので、可哀そうで、心配だった。そばについて、撫でてやると、なくのをやめる。落ち着いたかな、と思ってこっちが自室に戻ると(*私はネコアレルギーなので一緒には寝れない)、またうなりだす。結局、朝までいっしょにこたつで寝たり起きたりした(*私はメガネとマスクを着用)。
- 今朝〜夕刻。いつもなら人間やもう一匹のネコ(クロ:♀)の食事にまで手を(顔を)出すやつなのに、食わず・飲まずのまま、朦朧としたようすで、またうなったり、へたりこんだりしている。少し外に出たりもしたが、焦点もあっておらず、まっすぐ歩けていない。やばくて目が離せない。
- 夜。母と車でイヌネコ専門クリニックに連れていく。血液検査・尿検査の結果、「腎不全」と診断。「老衰」やその他の持病も持っているが、今回は腎臓の衰弱のため、特に脱水症状が激しく、危険な状態だったようである。ちなみに何と、激ヤセの点では、「甲状腺機能亢進症」も一応疑われるとのことで(でも、あくまで一応なだけで、たぶん違うはずだが)、母と「…こいつまで?」と顔を見合わせる。女医さんの説明を真剣に聞き、何やかんや質問し、「お詳しいんですか?」と言われる。詳しいっていうか…(-▽-;)
- チヨは今夜から3日間入院し、毎日点滴を受け、様子を見ることに。母といろいろ話し合ったが、できることをしてやるしかない、という意見で一致。
冬休み
- 今年の私の冬休みは次のようなものでした。
- 12月24日 終業式
- ここから今日に至るまで、出校はせず。
- 12月26・27日 教科旅行(九州方面)
- 幹事なので忙しかったが誰よりも楽しんだ。
- 1月1日 初詣
- 教科旅行疲れで風邪をひき、完治しないまま年明け。
- 友人が脱サラして看護師を目指すため、大阪天満宮で札を買う。
- ちなみに今年は「後厄」。おみくじは「大吉」。
- 1月2・3日 東京出張
- 本校が某スポーツで全国大会に出場したため、応援団を引率。
- 2日は朝6:30新大阪集合、3日は夜10:00新大阪解散。
- 1月4日 勉強会
- 看護師を目指すNりと待ち合わせてカフェ勉。久々の授業準備に燃える。
- 厄年に負けず、今年は絶対頑張りぬきます。
- ブログは更新できない時も多々あるかと思いますが…、どうぞ温かく見守ってください♥♥♥
2010年の通院
- 今年は夏とこないだの合計2回通院した。かいつまんで書いておく。
- 夏(*日にち忘れた。要確認)。いつも緊張するエコーでは、疲れていたのも手伝って、ある意味リラックスして、半寝で受けた(寝かされて電気消されたら意識飛んだ)。
- 1時間後のM先生の診察でも、ぼけーっと、どうせ良くも悪くも「現状維持=あるにはあるが経過観察」だろう…と思っていると、「うーん…、そやね、今度、精密検査しましょうか」と言われ、「…えっ(蒼白)」となる。
- 結論からいうと、一応、「ほぼ現状維持=やっぱりあるにはある。めちゃ増殖しているとかそういうことではない」らしい。M先生からは「次来た時に、精密検査をいつするか、その後手術にするか、アイソトープにするか、また決めましょう。いつ(手術などの)時間取れるの?春休みとか夏休みか。では、また半年後に(笑顔)」という、いつもながら、もはや、泣くべきなのかほっとすべきなのか、自分のことなのに微妙すぎて反応しにくいことを言われる。
- 帰り道の神戸の路上では、待ち合わせた母相手に、当たるというか、「もー、くびになったらどーしよー【*ちなみに、制度的にそれはないとしても、自主退職せざるを得ない空気を指す】。けっこんとか絶対できへんわー。人生どうしたらいいのー。もーいや!」と泣きを見せる。母励ます。
- その後半年。ウツと、単なる多忙と、人間嫌い(特に健康で幸せな同性の友達を憎む気持ち大)の中でぐるぐる。仕事だけは次から次へ押し寄せてくるので、それが楽しくもあり、でも来年・再来年はどうなるの?(泣)と不安でもあり、先々のことを、考えてみたり、忘れてみたり、現実逃避したりしなかったり… てきとうに暮らした。
- で、今回。12月17日(金)。今回も短縮授業期間に職場から直行。ちなみにちょうど風邪もピークで、頭痛いし、寒気するし、もうすべてが嫌すぎた効果で、ある意味またリラックスして、「もーしらん。手術するならするわ…アイソトープの方がいやかも…」と気持ち的には落ち着いて検査〜受診。
- で、M先生のところへ。合流した母ともども、久々に「覚悟」して入室。いつもどおり、エコー写真や血液検査の結果を説明され、「だから、ここらへんに、こういうのがあるね。でも、いつも言ってますけど、小さすぎてほとんど目には見えないし、こうして手で触っても全然分かりません。ということです。では、また半年後に。」となり、母ともども、「…えっっ しゅ、手術は?」となる。
- M先生、別に忘れていたとかではなく、「うん、それも考えなあかんね。ただ、この大きさでは、アイソトープにするか、考えないけませんね。次、時間取れるときに、精密検査しましょうか。いつにする?」という、前回と同じなのか何なのか、そういうことをおっしゃる。
- 私はといえば、M先生をむしょうに信頼しているので、ふと、「そっか、M先生がそう言うなら、そうとしか言いようがないんだな」と順応。「精密検査をするならするで、どんな内容と日数なのか」「その後、アイソトープなり手術なりはどんな流れか」などを、思い切って聞いてみる。お答えはおおよそ以下のような感じだった:
- 精密検査は4日かかる。入院ではなく、通院型。放射性ヨードを飲み、その反応を見る。しんどくなったりはしない。その期間、赤ちゃんのいる人はだっことかの接触を避けるべきだが、成人の家族や、職場や電車などでは特に注意しべきこともない。
- 私の場合、このままいくと、アイソトープの可能性が高そう。←これについては、M先生がそう明言したわけではないが(明言しないようにしているのがよくわかる)、ほぼそれらしき反応。アイソトープについては、入院型。ただし、やるにしても、現在で8カ月待ち。K病院には専用の部屋が2部屋しかないとのこと。私も、たとえば、次の夏(2011年)の通院&検査でこれに決まったとしても、8か月後になるか、または1年後の夏(2012年)ということもOKらしい。
- M先生のせいではなく、この病気のタイプのせいで、今回もまた、どう反応・準備したらいいのか微妙すぎる結果であった。私も、気が抜けたというか、ついでに風邪の相談もし、風邪薬も出してもらい、それで終了。
- ま、まとめると、半年後の夏には、検査通院ということ。そのまま、8カ月〜1年後に、アイソトープをする可能性があるということ。母曰く、「良いとは言えないけど、最悪でもない」。私にとっては、何もかもが微妙。
立花隆SP
- 立花隆もがんになっていたとは知らなかった(というか、もしかしたら、知ったが、忘れていた)。一応ファンなのに。すみませんでした。
- まず思ったのは、「何て頼りになる人が来てくれたんだ〜…(●−▽−●)」ということ。 あほな私(しかも最近さぼっている)の代わりに勉強してくれー つきつめて教えてくれー(泣)
- 番組はいい感じだった。医療的な内容は別に大げさにするほど新しいことでもない(理解できないなりにだいたい知ってると感じた)。しかし、立花氏の取り組み方・生き方、はしばしのコメントが良かった。
- 以下、メモ。専門用語の意味はほとんど分からぬ。
- 立花氏 69歳
- 戸塚(物理学者)=大腸がん? ブログ有
- 筑紫さん ←立花氏の目にも涙
- 1971「がん戦争」by.ニクソン大統領
- コピーミス
- 点と線 ←このことばにはとりあえず反応
- がんゲノムプロジェクト
- HIF−1(ひふわん)
- マクロファージは、むしろがんを手助け
- かくれ家や栄養を提供
- (正常な)幹細胞
- がん幹細胞
- 耐性
- 立花氏の後半のことばより:
- 「がんは、半分自分で、半分エイリアン」 ←エイリアンイメージに強く共感!
- 「抗がん剤やらない、頑張らない、QOL下げない」 ←共感
- 「がんは、しぶとすぎるほどしぶとい」
- 「避けられない運命 →おりあいをつける」
- 「人間は、死ぬ力・死ぬまで生きる力を持っている
- 人間は、死ぬまでちゃんと生きられる」 ←このことばに救われた!