2日目

  • 今日は手術の日

  • 7:00、起床〜準備。
    • 体調は復活したみたい。昨夜は少しだけ寝付きにくかった(やはり日中に寝過ぎ)が、大きな問題はなし。熱も36.3℃
    • お風呂に入って、術衣に着替え、待機。絶食中。
  • 10:00、点滴開始。

  • 12:00、M先生来る。
    • 『局所麻酔のための注射が痛くないようにする麻酔』のため、専用のテープを貼られる。とうとうアナ子(←最近そう呼ばれている)ともお別れ。
  • 12:25、呼び出し。手術室へ。
    • 母は部屋の前で見送り。父は間に合わず。

    • Sさんの付き添いで、5Fの病室から6Fの手術室まで。エレベータで。
    • 6Fでは、昨日説明に来てくれた手術担当の看護師さん(Hさん)が待ってくれていた。しかし、何やら少し準備が間に合わなかったらしく、1分ほどエレベータ・ホールで待つことに。その間、M先生も横切る。ペットボトルのお茶を手にされていた。

    • 準備とやらはすぐに完了。Sさんとお別れ。Hさんに連れられ、専用のドアから手術室の中へ。
    • このあたり、前回の手術でも見た風景。ただし、前回はドアから入った時点ですぐにベッドに寝かされ、それを押して個別室に連れて行かれた。その際、ココはすでに手術室、と思っていたのだが、実はまだ『手術室専用の廊下』なのであった(前回、けっこう長い距離を押して行かれた感じはあったが、単に一部屋が広いのだと思っていた)。今回はその廊下を、手をつないでもらって自分の足で歩き、個別手術室まで。私の部屋は一番奥だったので、それまでにいくつかの部屋を横切ることになり、窓越しに手術の行なわれているらしい様子も見えた。
  • 12:33
    • とうとう個別手術室のベッドの上へ。時間は、この時点で部屋の壁時計を見たもの。

    • ベッドの周囲には看護師さん4〜5名。それぞれの人が、仰向きに寝ているだけの私にいろんな器具を装着してゆく。頭・腰・足・腕を固定するためのベルト、体温・血圧・心拍数・酸素濃度を逐一調べるためのコード、ライトから目を守るためのガーゼなどなど。その動作がてきぱきとプロフェッショナルで、二度目ながら感動。いちいち声かけをして下さる(「痛かったら言ってくださいねー」「寒くないですかー」「腰の下、枕入れましょうかー」などなど)のもありがたい。
    • おそらく、前回はこのあたりのタイミングで、全身麻酔を受けたのだったと思う。今回はそれがないまま、術衣をガバっと脱がされる(上半身)。そのあたりでM先生登場。私は内心、「何だよ、どうせ前回もそうだったんなら、昨日のブラジャーぐらいホントどーでも良かったやん…」などと思う【※そういう問題ではない】。M先生がもう一人の先生とともに準備に入ったしばらくの間、私はそのまま(上半身むき出し)ほったらかし。一応ちょっとは恥じらいの残っている自分が悲しい。この瞬間の私にそういった高級な感情は認められていないというのに(−3ー)
    • ほどなく、上から大きなシートを被せられる。これで、顔と胸を覆い、ちょうど首だけが術台の上に出ることになる。私の目の前には、エメラルド色のつるつるシートの、裏面のみ。意識はカンペキにあり。
    • とうとう手術始まる。何も見えないので実際何が行なわれているのかはよく分からないが、何となくまずはアナの消毒が始まったらしいことが分かる。M先生が「せいしょくガーゼ」とか何とか言っている。M先生からも、「痛かったりしたら、何でもゆってね。」と言われていたが、特に痛みはなし(もともとまだ感覚があまりない)。ただ、少しのどの奥の方を「モスキート」(=おそらく特大サイズのピンセットのこと)で触られたときは、私:「うっ!!」と声を出してしまう(M先生特にご返答なし)。

    • おそらく10分ほど経過した頃。局所麻酔の注射。これも痛みはなかったが、M先生に「痛かった?我慢せんといてね。」と聞かれ、「痛くはないんですけど、注射の針がのどの奥に刺さった感覚だけはありました。」と答える。先生の方はまた反応がなかったので、どうやらそこまで細かく言うことは求められていないただの声かけかもしれなかった。
    • そのあたりから、頭皮が痛くなってくる…。頭の下には、ゴム製でドーナツ型の枕が置かれていて、ぐらつかないようになっている。はじめはむしろ心地いいぐらいだったのだが、手術半ばから、押されてかつっぱってか、頭頂部が痛くてしょうがなくなる。前回の手術でハゲたのは絶対これのせいだったのだろうと確信する。今回は術部以外の感覚が完全にあるから、正常に痛みを発し、原因も分かるわけだ。まだ30分も経っていないであろうこの時間で。前回は、感覚がないまま全9時間である。そりゃハゲにもなるな(^0^;
    • どのあたりの時間からかは分からないが、とうとう縫合も始まったらしかった。手術前にM先生が説明してくれていたとおり、丈夫に整えるため、二段階で縫うのだそうな。まず内側、そしてもう一度外側。後から聞いたところでは、内側がいずれ体内で溶けてくれる糸、外側が後で抜糸を必要とするナイロンの黒い糸で縫われたとのこと。針を刺される感覚はなかったが、一糸終えるたびにバチン!バチン!、とはさみで切る振動は伝わった。M先生ともう一人の先生が、拭いては縫い拭いては縫い…を繰り返している(※たぶん餅つきのように交代で)のも分かった。
  • 13:40ごろ。
    • 術部は全く痛くない。しかし、頭頂部が痛い…。まだ長引くようなら申し出ざるをえまい…と思っていたとき、手術終了。M先生:「ハイ。しばらく声出さないようにね。」 おもむろにシートや各種器具も取り外され、顔面が一気に爽快に。ここで、頭のあたりに待機してくれていた看護師さんに、「あの…頭皮が痛いんです…」と訴える。すぐにその看護師さんがドーナツをタオルに替えてくれるが、M先生に「しゃべらないで!」と怒られる(笑)。とりあえず、ホ…(−▽−)=3 このあたりで時間を見ると、ちょうど1時間ぐらい経ったころだった。
    • M先生は「ご家族に…」と言って去ってゆく。どうやら手術の結果をうちの父母に説明に行かれたようだ。そんなM先生、本日は合計4件の執刀らしい。基本的に、あいだにはご飯も食べず、ひたすら手術を行なうらしい(私の時もそうだった)。す、すごすぎ。

    • 私は、車椅子で入院病室まで戻されることに。さっき頭部の枕を取り替えてくれた看護師さんはどうやら婦長さんらしい。婦長さん:「前回の手術のことは、覚えとってじゃないですよねー(^^)」とおっしゃる。私は、声が出せないのでへらへらしながら、「やっぱり神戸の病院は、神戸とか姫路の人が働いてるんだよなー…」などと思う。

    • その私を乗せた車椅子は、もと来たエレベータ・ホールまで押されてゆく。そこにすでにSさんが待っていてくれる。笑顔。HさんからSさんへと引き継がれた私は、5Fへ。
  • 14:00ごろ。
    • 5Fでは、直接個室には戻らず、リカバリー室へ。

    • 懐かしい風景(笑)。お隣には、中年男性が寝ていらっしゃるらしい気配(いびき)が聞こえる。私は車椅子からベッドに自力半分、SさんやNさんやMさんに手伝ってもらう半分で横になる。実は眠気はほぼない。気分の悪さもない。我ながら、前回とは違いすぎる。体温、血圧、心拍数、酸素濃度を調べてもらったり、点滴を取り替えてもらったりしながら、ボーっとする。Sさんが「ヒマでしょう?」と言って、CDをかけてくれる。ピアノ音楽。何でも、昔の患者さんがオーストラリアで作ってきたものらしい。立ってトイレにも行く。
    • どのあたりのタイミングでか忘れたが、母が様子を見に来る。父が、私が手術へ向かった直後に病院に着いたこと。今日はちょっと仕事が忙しいので、いったん戻ってまた来るとのこと。母に「うなぎ買ってこようか?」と言ってきたが、母が「黒門のKのでないといらん。」と答えたため、父は夕方ごろわざわざ大阪でそれも買ってからこっちに来ることになっているとのこと、などなど。バカバカしくて声を出して笑いそうになる。
  • 14:00〜17:00。
    • リカバリー室には3時間いなければならない。おとといから変な眠気があって夜が寝にくかったので、今日は昼間に寝まいと思い、時間の経つのをひたすら待つ。首にはテープ、腕には点滴があるので十分ではないが、寝返りぐらいは問題ないのが助かる。

    • 隣からは寝苦しそうな唸り声。何度かナースコールを押すのも聞く。カテーテルがつらい、眠れない、精神的にしんどい、などと訴えていらっしゃる。気持ちは分かるけど、看護師さんに訴えてどうするんだろう…。たぶん、どうしようもないということは、実はご本人も分かっているのだろう、「今はねー、ちょっとそれ付けとかないとねー」とか「今お薬飲んじゃうと、夜寝られないですからねー」などと言われて、なぜかちゃんと「はい…」とか言って引き下がっている(笑)。
    • とうとう私もうとうとしてきたころ、父到着。目を開けるとニコニコ立っていて、「おお、どうじゃ。」などと言っている。退室まで本当はあと10分あったのだが、Sさんが出してくれる。歩いて自室まで。
  • 17:00〜
    • 自室。父・母と(私は無言だが)おしゃべり。母はうなぎを受け取ったらしい。この時点で知ったが、妹は今日風邪で学校を休んだらしく、父はピストン移動で大阪に戻り、妹にもうなぎを届けるらしい。
    • 私は空腹が絶頂だったが、夕食はお粥と決まっていたので、それまでのあいだ、お茶・野菜J・グレープフルーツJなどをごくごく飲み続ける。
  • 18:00。
    • 夕食。母が強く勧めるので、母のうなぎを少し食べる。食べてすぐ眠くなり、横になる。幸せ…(−▽−)

    • そのあとの時間のことはあまり覚えていない。私は寝たり起きたりをくり返し、途中何度も看護師さんたちが来て、体温などをはかったり、点滴を取り替えたりしてくれた。妹からメールが来たころ(今確認したところ0:30ごろ)、またお腹が空いてきており「うなぎを食べたのか」「焼肉食べたい」などと会話しあったのは覚えている。M先生が来たかどうかは微妙。ちょっと本を読んだかもしれないがそれも微妙。TVを少し見たのは確か。
  • 1:00。
    • 就寝。【※ずっと横になっていたが、この後に時刻を見た記憶がないので。】